yuipapa日記

相場、車、食 など 日々の出来事を書いています。

どうせみんな消えて無くなる

会社をやめてやりたいことは?と聞かれても別にこれってもんがない 今何か欲しいものは?と聞かれても う~ん...って これは問題だね 自分で考えてても じゃあ何で生きてるのって思う だって何をしても 何を手に入れても どうせあと20数年もすりゃこの世から消えて無くなるわけでしょ どこまでって先が見えてて それでもそこまでは行かなければならないってのは プロ野球の消化試合みたいなもので つまらんよね 相場も儲からんからちょっとだけチンタラやってるだけだし、毎日会社に来てもすることもない でも居心地が悪いわけではない 唯一鬱陶しかったやつも 最近は全然丸くなって鬱陶しくなくなってしまった No2とは為替と株の話で笑ってりゃいいし そうなるともう誰も意見する者はおらんわけで 冷静に考えれば 毎日 日本で机に座っててもすることがないはず = 何もしていない ってわかるはずなんだけどね

16年前ベトナム赴任になった時に 部下たちが「ベトナムさんはそこに座ってくれてるだけでいいんです」と言われた 何でかと言うと いくつかの課があって まあ色んな人間がいるわけで 部下にとったら鬱陶しい奴もいるわけで、そんな奴らの抑止力になるんだと それだけで仕事がやりやすくなるからと
「そりゃベトナムさんが近くにいるだけで僕らに対する言葉遣いまで違いますもん」
「へ~ 怖いもんなしのあいつでもそんなにおれが怖いんかね」
そいつが何を警戒してたのかは もう辞めちゃったのでわからないが、まあそんなことだったらしい でも今は課も2つだけになってしまって そんないがみ合うってこともないから そう言う意味の存在価値もなくなったね 別に部下を連れて飲みに行くわけでも食べに行くわけでもないしね だいたい僕は上司だからと言う理由で定期的に部下に飯でも食わせてやらないとなんて考えはない 1回5人6人連れていって3万円使うよりも お気に入りの奴に1回1万円で3回連れて行く方がいいと思っている 気に入った奴に使うのだからいくら使っても惜しくはないが、上司だからという理由だけで使う金ってのは 部下にとっても上司なんだから出して当たり前って感覚だから 当たり前のことをしても何も意味がないということだ もっともその当たり前のことすらしないケチ上司と思われるかもしれんが... 
 
広く浅くか 狭く深くか できることは限られているわけだから どちらかしかできないわけで、どっちつかずになるよりは どちらか極端になる方がよい 僕は狭く深くの方だな 凝り性ってのはそういうことだろう だから人との付き合いもそうなってしまうし 物事何でもそう言う方向になるね
グラフを書くと決めたらとことん書く、金使わないと決めたらとことん使わない そうやってベトナムでは常にどうやって金を残すかということ考えていたし またそこにはそれだけの「材料」があった だからそれがその場その場の「やりたいこと」だったのだと思う それが日本に帰って来てその「材料」がなくなってしまって「やりたいこと」もなくなってしまったような 16年間の慣性が断ち切られたような感じで 一時的な虚脱感というか喪失感というか 会社に来てもそれを埋めるような役割もないし それでも出勤して人と会話するということがあるが、これで会社辞めたら 1日どうやって過ごせばいいんだろね 今はまだ息子の試合を見に行くとか 写真を撮るという楽しみがあるからいいけど 息子も成人したらそれこそ何のために生きるのかってなるんじゃないかって心配になる
美味いもの食ったって、見たい景色見たって、どうせもうじき死ぬじゃん 死んだら思い出もクソもない 生きて振り返ってこその思い出だし そう考えると人生って短いよね うまく生きたとしてもたった80年90年 なのに何を悲しむことがあるかね
何を羨むことがあるかね 誰に好かれようと 誰に嫌われようと どんな生き方をしても どうせみんな消えてなくなるのに