yuipapa日記

相場、車、食 など 日々の出来事を書いています。

鎖に繋がれたリーマンとは少し違う

最後のハローワークに行ってきた。 年金は別として、これでリーマン絡みで受け取れる金は終了ということだ。 64歳11ヶ月と28日で自己都合退職。 もらえると思っていなかった「特別支給の老齢厚生年金」を、最後の誕生月分だけ受け取ることができて、誕生月の翌月から年金を満額受け取りながら、失業給付も規定の150日 おまけにコロナ対策で60日延長で210日 150万円程もらった。 

 

若い頃... バブルの頃は夜遅くまでサービス残業もしたが、まあ年2回とは別の 決算ボーナスなるものを毎年100万くらいもらったし、小さな会社だが 慰安旅行でハワイに行ってスカイダイビングもやった。 2000年からはベトナム赴任 赴任とは言っても駐在ではなく、20日間だけベトナムで、毎月10日間は帰国させてもらう温い出張のようなものだった。 サイゴン川沿いの15階建ての家賃1,500ドルのコンドミニアムの最上階のリバーサイドという文句なしの部屋に16年間住まわせてもらった。

 

ヴォー バン キエト元首相の自宅敷地に自由に出入りさせてもらえる環境を与えてもらって、息子が小学生の時は毎年夏休みには出張と一緒に来て、毎日敷地内のこんな大きなプールを貸切で泳がせてもらったりもした。 

f:id:yuipapa52:20220217173450j:plain

どう考えても恵まれたリーマンであったと思う。 ほとんど仕事は通訳任せで、毎日あり余る自由時間で月足グラフを書き、出張手当で借金を返し、またその手当があることで、相場にも良い精神的余裕をもたらした。 相場で成功できたのは、時間的にも金銭的にも全てはこのベトナム赴任があったからである。 何でこうもうまく恵まれた環境でリーマンを続けられたかは、神様のおかげ... とは思っていない。 やはり「常に」「何か」を考えていたからだろう。 それでもまだ鎖に繋がれたリーマンであることに変わりはなかったが。

 

「何か」って何?と聞かれても「これ」というものは思いつかないが、とにかく何かは考えていた。 「ぼーっとはしてなかった」ということかな。 やると決めたら徹底的にやる。 何が自分の利益か? その利益を得るために何をすべきか? 相場をするために金が必要なら、まずは徹底的に節約する。 ベトナムでは2km80円のタクシーに乗らずに10kgの水を持ってスーパーから2km歩いて帰る。 ドアtoドアでホテルから工場までタクシーで片道600円だが、ホテルーバス停 バス停ー工場と4km歩いて国営のバスで行けば20円。 通訳にも「頭が変」と誉められた? が、いつも言うことだが、普通にしてたら普通で終わると言うことだ。 こう言う普通でないことをやってきたから、普通じゃないリーマンで最後を終われたわけだ。 リーマンである以上飼われてないとは言えないが、それでも首輪のない放し飼いのリーマンにはなれたと思うのだ。 そうなれたのは600万円の借金を背負ってベトナムに赴任してから15年後のことである。