yuipapa日記

相場、車、食 など 日々の出来事を書いています。

自分の物差し

昨日は元部下の中華屋へ歩いて行った 片道5km。 思っていたより少し遠かった

何で歩きかというと、まあ健康のためにたまには歩かんと..ということと、歩くとコカコーラのスタンプがもらえること。 それと唐揚げを食いながら生ビールが飲みたかったから。 半袖Tシャツで出かけたが、日差しが強くて汗だくになった。 結構しっかり歩いたつもりだが5km歩くのに 1時間近くかかった。 洗車しただけで筋肉痛になるような身体だが、 まだ10kmくらいは余裕で歩けるようだ 歩けんようになったらおしまいだからね。 歩いてきたと言ったら、夫婦揃って「え〜〜」

「そんなに驚くことでもないやろ」

「いや驚きますよ 家からでしょ」

「そうや」

「え〜〜 そんな人いませんよ」

「ここにおるがな」

「いや そうですけど、何でまた」

「歩きたかったからやん」

「いやいや...」

「とにかくビールや 車じゃ飲めんやろ それと唐揚げ!」

 

そこの嫁さんが家まで送って行くと言って聞かなかったが、健康のためやからと断ってまた歩いて帰った。

 

 サラリーマンというのは他人の評価を気にする。 それが自分の利益に直結するからだが、その利益に直結する他人はいろいろである。 別に部下の評価は悪くても上司にうまく取り入っておけば利益は確保されるわけだから、全ての他人に評価される必要はない。 それはサラリーマンであり続けようとする大多数のサラリーマンの宿命である。 相場師は自分の評価は全て損益となって数字に表れるのであるから、他人の評価を気にする必要はない。 他人にどう認められようと下手では飯は食えないのである。 逆に他人にどう否定されようが、自分の力で稼ぐことができれば生きていけるし、大多数の他人の評価を気にするサラリーマンができないことができるのである。 トランプなんか見てたらよくわかる この世は正義が勝つのではなく、勝った者が正義なのである。 

 

僕は別に人に嫌われようとは思っていないが、好かれようとも思っていない。 ただ自分の物差しでの「常識」「礼儀」は守る。 それが他人にどう評価されようが知ったことではない。他人の物差しで測ったものなど信用できないし、他人の物差しで生きる必要もないが、他人の物差しがどんなものであるかを知る必要があるのがサラリーマンなのかもしれない。 

などと言いながら僕も40年サラリーマンを続けているわけだが、社内の誰の物差しも気にならないし、社内の誰も僕の物差しを知ろうとする者もいない。 だから友達もいないし、最近は社内で話す相手すらいない。 これは僕が悪いわけではなく、他の者が悪いわけでもなく、ただ単にこの会社の社員と僕は違う世界に住んでいるということなのだろう。 そう考えれば居心地が悪いわけでもなく、ただ淡々と自分のしたいことをして、時間が来ればおうちに帰る(笑)だけである。

 

 良い事 悪い事、面白い 面白くない、人はそれぞれの物差しでいろんなことを測って生きている。 ひと言で言えば「価値観」ということになるかもしれないが、他人に迷惑をかけさえしなければ、他人の物差しに合わせる必要はなく、自分の物差し、価値観で生きていけば良いのだと思います。