yuipapa日記

相場、車、食 など 日々の出来事を書いています。

自分の器を満たす

有形 無形にかかわらず、また直接的 間接的はあるにしても、この世で金で買えないものはほとんどない。 極端に言えば人の心もプロセスとして金で買えるし、自分の心さえも買えるのかも知れない。 

「極端に」と言っているのだし「ほとんど」と言っているのだから、考え方として偏っていることは当然のことであるし、「すべて」がそうだと言っているのではないので反論は無用である。 もちろん金がないことイコール不幸とは限らないし、金があることイコール幸せだとも限らないことは理解している。 

自分が幸せかどうかを考えた時、生まれて今まで一度も自分を不幸だと思ったことはないのだから、まあ幸せなんだろうと思う。

 

 やりたいと思うことは人それぞれであるが、人は自分の器を超えた望みは持たないものである。だから小さい器の者は小さい望みを持ち、それが叶うことで幸せを感じられるし、大きい器の者はその程度では満足できず、もっと大きな野望を抱くのかもしれない。 「その人なりの器を満たす」ことが幸せなのである。

 

では僕の器はどれほどか? どうも自分でもよくわからない。 大きくなったり小さくなったり、元々考えが極端に偏りがちなので、どっちかに偏っている方が心地よくて、中途半端な状態はどうも居心地が悪い。 相場をやるにあたって林の爺さんに言われた

ベトナムさん 相場で成功したと言えるには10億儲けなさい 最低でも5億です。」

「先生 話が大きすぎますわ。」

「何を言ってるんですか 私の周りで正しいやり方でやっている人はみんなそんなもんですよ。」

20年やっているがまだ最低の5億にもなっていない。 大きな目標として5億10億があるにしても、まあ誰でも最初の目安は1億だろうね。 その1億になった時、果たして10億も必要か?って考える。 そりゃあリスクなしで増やせるなら まあ金はたくさんあった方が良い。100億200億と使い切れんほどの金は必要ないが、10億程度の金はあった方が良い。

 

でも10億なくても、相場を続けるなら1億をキープしながら、これが減らない程度に小さなリスクで、使う分だけ稼げばいいんじゃないのと 小さい器の者は考えるわけよ。 小さい器の者が日常使う分なんてたかが知れている。  大きい器の人間は1億からもどんどんリスクを張って倍々にして10億どころか100億にもしていくのかもしれない でもそうできるのはコンマ数%以下の世界である。

 

お金持ちはいくらでもいるわけだし、1千万以上の車に乗ってるもんもいくらでもいるわけだけど、 たかが数十人の個人商店の平リーマンでありながら、毎日燃費4kmの

1,200万のレクサスで通勤して、すし食うためだけに何度でも北海道に行くという生活をしてるってところが気持ちいい。 金持ちは金があって当たり前だから、2,000万のベンツに乗っていても別に誰も驚かないし、多分「ふ〜ん」程度かな でも貧乏平リーマンがそれをやると「へ〜」となる。 他人に「へ〜」って思われているうちはまだまだ小さい器であるということだ。

 

要はネズミの頭がいいか、虎の尻尾がいいかってことになるのかな。 今はバカの集まりの会社にいるから存在感も出せるが、エリートいっぱいの大企業に入れば役にも立たずに埋もれていくであろう。 今に満足しているということは それだけの器であるということであるが、それはそれで幸せなのである。 これ以上何を望むかね。