滋賀医大の方は新規の待機患者の悲痛な声がたくさん集まっている。目の前に治せる医者がいるのに診てもらえない。 滋賀医大病院が手術をさせない、国立病院が新規の患者の診察を拒否する。 今の日本ではこんなことが許されるらしい。
患者会の活動には弁護士費用など多額の金が必要だが、患者会の数も大きくなっているので、新たに寄付を募れば集まるのかもしれんが どうなんだろうね。
患者会の活動には弁護士費用など多額の金が必要だが、患者会の数も大きくなっているので、新たに寄付を募れば集まるのかもしれんが どうなんだろうね。
前から言っているように、寄付というものは、どんなに大きな金額をしたとしても偉くもなんともない。 寄付は自己満足であると僕は思っている。 出せるから出すのであって、ない袖は振りたくても振れないのである。 初めての時は1回限りと思っていたし、僕がこの問題を知る前から活動している患者会のメンバーは、それ以前に寄付をして活動してきたと言うこともあって、確か1口5千円の要請であったと思うが、その時僕が自己満足できる金額10万円を寄付したし、その後2回目の寄付依頼にも5万円寄付した。 もし岡本医師が新たな施設で治療するために大きな金が必要であるなら1千万円寄付しても良いと考えていた。
自己満足であるから、僕を満足させるだけの材料があるなら、もちろん出せる範囲ではあるが、それくらい出しても良いと思うし、それくらいの心意気はあるつもりである でもこんな性格だから、そこに些かでも自己満足できない要素があるなら たとえ1円の寄付でもしない。
「自己満足できない要素」とは何か それは色々あるが ここでは差し障りがあるので書けないが、まあ偏った考えの偏屈者を完璧に満足させるのは難しいだろう。
だからお前は使えねえと言われるわけだが、使ってくれなくて結構なのである。
前立腺癌の患者は年寄りが多い 患者会の会員の中にも 金持ってる人間もいるだろうが、年金生活の者もいるかもしれない そんな中で泣け無しの1万円を寄付した人もいるのかもしれない。 だから寄付してもらった金というのは1円足りとも軽々しく使ってはならないし、必要ならまた寄付を募ったらいいじゃん! みたいに軽々しく思ってはならないと思う。