yuipapa日記

相場、車、食 など 日々の出来事を書いています。

終わりよければ.....

中学時代は新聞部 ロウ原紙に鉄筆で記事を書いて、謄写版でわら半紙に印刷するみたいなことをやっていた。 運動には全く縁のない3年間を過ごして、高校でも写真部に入部。 ところが入学して1ヶ月くらい過ぎた頃、昼休みの教室に怖そうな2年生が2人入ってきて「おい お前ラグビー部に入れ」 45人のクラスで男は12人 クラスでも背が高かったのですぐ目についたんだろう。「ラグビー部なんて そんな嫌です」と断ったが、「なんでじゃ!」 なんでじゃって言われてもねえ もう怖いし追及を逃れるためにその場しのぎに「あいつが入るなら入ります」 怖い2人は「あいつ」のところに行って「ラグビー部に入れ!お前が入ったらあいつも入るゆうとる」 困った「あいつ」は「じゃあ あいつが入るなら入ります」と別の「あいつ」を指差す。 その別のあいつはあっさり「ああ 入ります」と二つ返事 めでたく3名入部と相成ったわけである。 最後の「あいつ」は後でボケかカスかと責められたのは言うまでもない。

 

入部早々しこたま走らされて、翌日には階段を降りるのも壁伝いにしか降りられず、寮の和式トイレにしゃがむのも一苦労の状態。 なんせ生まれて一度も運動らしい運動なんてやったことないんだから。 それで入部3ヶ月目の夏休み前の練習試合にいきなり先発出場 ルールも何も教えてもらってないし、練習当時からなんでこんな練習をするのか 意味が全くわかってないのに試合に出ろって もう無茶苦茶。 しかも背が高いのでポジションは4番ロック 一番しんどいポジション。 結局一度もボールに触れることなく 何が何だかわからないままに終了 人生で一番しんどい思いをした。

 

1年の春の体力測定で50mが7秒6 それが2年で6秒6 3年の春には6秒2 初めて100mを測って12.0秒 体育の時間に測るのだが、12.0秒と11.9秒では聞こえが全く違う。 なんとか11秒台が欲しくて、もう一回走らせてくれと先生にお願いして走ってみたが、12.1秒 残念であった。 それでもチームでは一番だからロックは1試合のみで、すぐにウィングに回された しかし弱小チームのウィングはつまらない 途中でポロポロ落とすから、中々ウィングまでボールが回ってこないのだ。 

 

あの時怖い2年生が来なかったら高校3年間写真部で過ごしていたし、それなら息子がラグビーをやることもなかったであろう。 息子の中学 高校の6年間 試合のたびに息子よりドキドキして緊張することもなかったし、息子のトライに心踊ることもなかった。 ラグビーワールドカップに家族で盛り上がることもなかったかもしれない。 そう思うとあのわずか5分ほどの出来事が僕の人生を変えたのかもしれない。 

 

もう一つ人生を変えたのは、林輝太郎の本ということになるだろうか 今までの自分の知っている常識を覆すことが書かれていて、正に目から鱗であった。その本を読んで月足2,000枚書くことを決意したわけだ。 その前に先物で300万の借金を背負うというポイントもあったし、その300万を貸してくれた人物がいたということもポイントではあったが、いくつかのポイントを経て行き着いたのが氏の本だったということだ。 ちょうどその頃ベトナム赴任が決まりグラフを書く時間が確保できたことも 3年かけて2,000枚書き上げたのが、ちょうどバブル崩壊後の10年の下げから底練り3年が経過し、これから上昇というタイミングだったこと。 どれか一つが違っていても今の状況にはなってなかったのかもしれない。 色々あったが、全ていいようになったのだと思う。 終わりよければ.... というやつだな まだ終わってはないけど。